ORIZURU代表の小林です。
いつもORIZURUを応援して頂きまして、誠にありがとうございます。
4月13日の今日、ORIZURUでは初めてのスピリチュアルケア師(*)による民間ホスピス様への訪問活動を行いました。これから月に数回、同施設を訪問させて頂く予定です。
少し個人的な話になりますが、この活動にかける僕の思いを書きましたので、お読み頂けますと幸いです。
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僕は14年前に父を食道がんで亡くしました。
2003年12月、当時、僕が一人暮らしをしていた金沢に父と母が遊びに来ました。みんなで食事をしていた際に『最近、食事が飲み込みにくいんだ』と父は話していました。
それから程なくして、父は実家近くの病院に入院し、年が明けてすぐに末期の食道がんであることを告げられました。そして半年間の闘病生活の末にこの世を去りました。
僕はこれまで経験したことのなかった深い悲しみに襲われ、毎日、涙を流しました。眠りながら泣いていることもしばしばでした。底の見えない悲しみの深さに驚きもしました。後にこれが悲嘆(グリーフ)であることを知りました。
悲嘆反応は3~4年ほど続いたと思います。職場の同僚や友人との会話が『家族の話題』になる度に、胸が引き裂かれるような痛みを覚えました。顔で笑いながら心で泣いていました。
専門的には悲嘆で生じる認知的反応に入るのでしょうか。父を亡くした翌年、2005年の記憶が僕の中でぽっかりと抜け落ちているんです。不思議なことに妻も同じ状況で、夫婦揃って『本当に2005年は何をしていたのだろうね、、』と振り返ることがあります。
今、こうして父の思い出を友人や知人に話せるようになるまでに7~8年、初対面の人に話せるようになるまでに10年以上の時間とグリーフワークが必要でした。勿論、今でも当時を思い出せば悲しみが込み上げてきます。ですが10年という長い時間の中で、この悲しみの置き場所を心の中に見つけることが出来たのだと思います。
少し話が前後しますが、父との思い出で心残りがあります。それは闘病中の父の気持ちを最後まで聴くことが出来なかったことです。僕は僕自身の予期悲嘆と否認の感情が強すぎたために、病床の父の気持ちに寄り添うことが出来ませんでした。恥ずかしながら自分の悲しみに向き合うことで精一杯だったのです。
また今でこそ緩和ケアの定義や看護師のクリニカルラダーの中に『スピリチュアル』という言葉が記載されるようになりましたが、その当時、父が入院していた病院では、患者の気持ちに寄り添うケア、家族(第2の患者)の気持ちに寄り添うケアなどは全く望めない状況でした。
もしも、もしもあの時、家族に代わって父の気持ちを聴いてくれる人がいたのなら、父は何を語ったのだろうと考えることがあります。あの日、父と僕しかいなかったあの病室で、『母さんを頼むな』と一言だけ呟いた父の気持ちを、僕は今でも探し続けているからです。
スピリチュアルケア師が何かを与えられる訳ではありません。ケア師が関わることで、その人の抱えている出来事が無かったことになる訳でもありません。ですが、困難を抱えた人やご家族の傍に在り続けようとする人間の存在が、『自分の中にある支え』を見出すキッカケになるかもしれないと、僕は僕の体験から思うのです。
今日、ORIZURUメンバーのひとりがスピリチュアルケア師(*)として民間のホスピスさまを訪問しました。これから月に数回、同施設を訪問させて頂く予定です。
僕たちの歩幅は決して大きくはありませんが、それでも一歩一歩、歩んで行きたいと思います。
これからもORIZURUの活動を温かく見守って頂けますと幸いです。どうぞよろしくお願いします。
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【*スピリチュアルケア師 資格認定について】
日本スピリチュアルケア学会は、2012年より「スピリチュアルケア師」の資格認定制度を設けています。
これは、医療・福祉・教育・産業との連携の中で責任をもってスピリチュアルケア領域の専門性を担うと共に、援助者が自らのスピリチュアリティの涵養を通して「限界ある人間による人間へのケア」の力動と相互性を理解し、臨床的状況で必要とされる援助関係を構築する能力を有する人材育成を目的としたものです。
「スピリチュアルケア師」は、現在8団体が提供している「認定プログラム」にて、規定の単位を修得し、その団体から推薦され資格審査に合格した者が取得できます。